紙芝居関連のページです



平成29年度以降の作品を、順次掲載していきたいと思っています。


平成28年度制作の6話の表紙を掲載します。

「東野村の人々と熊谷蓮心翁ー表徳碑物語ー」が入手できましたので、掲載しました。よかったよかった!!!


平成27年度制作の5話は、データーを取得次第、掲載します。しばらく、お待ちください。


今まで制作した紙芝居の舞台を、山科区の小学校校区ごとに分類してみました。

「けんちゃんのハッピーじぞうぼん」          すべての校区、ほか京都市内各所でも行われています

「音羽山 大蛇ものがたり」               大塚小学校・音羽小学校・小山・音羽山ハイキングコース

「西野山古墓発見物語」                 百々小学校・勧修小学校

「南山科 鷹狩物語」                   勧修小学校・勧修寺(かじゅうじ)の由来

「四の宮物語」~あまよのみこと~           音羽小学校・安朱小学校・旧東海道・琵琶

 

「ご神体を守った村人」                  大塚小学校・音羽小学校・小山の里・二の講

「はねず踊りは、アーリャ コレ コレ」         小野小学校・随心院・はねず踊り

「近代やましな ものの始まり物語」          山科全域・寺子屋・おくどさん

「称名寺 帰ってきた観音さん」             山階南小学校・小山 明教寺・音羽川の洪水

「木食上人と日岡峠」                   陵ヶ岡小学校・旧東海道・日の岡・車石


今年度も、引き続いて、紙芝居を作っていきたいと考えています。

・こんな題材で作ったらどうやろ。

・絵を描いてくれそうな人、知ってますよ。

・紙芝居をやってほしいという人・団体があるんやけど・・・。

事務局(説田さん)に連絡ください。「やましなを語りつぐ会」の活動を、どんどん宣伝していきたいですねえ。


ここからは、平成26年度に製作した紙芝居です。


平成25年度に製作した紙芝居5部

山科区にある小学校13校中学校6校図書館などに配布しました。(やまかた会)

けんちゃんの ハッピーじぞうぼん〉「作品解説」

 京都には、昔から夏の終わりに“地蔵盆”という、子ども達にとって楽しいお祭りがあります。みなさんにも、きっと懐かしい思い出があると思います。

 今回は、「ケンチャン」という主人公が、初めて京都の地蔵盆を体験し、ご近所の方と仲良くなっていく、そんなストーリーで作ってみました。

 大きい子も、小さい子も、大人も、子どもも、お地蔵さまの前で一緒になって楽しい一日を過ごす。こんなよい機会なので、私には地蔵盆に一つの提案があります。このような場を活かして、近所のおじさんやおばさん達に、昔の山科の生活の様子や、近くのお寺や神社のこと、お祭りの時の様子などをお話していただく。“語りついでいただく”。そのような場にできないでしょうか。

 そしてまた、私たち「やましなを語りつぐ会」の作った紙芝居も、そのような場でお楽しみいただければと考えています。

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音羽山大蛇ものがたり
音羽山大蛇退治伝説と二の講(二九)行事
鎌倉時代末期1313(正和2)年音羽山に住む大蛇を山の麓の住民内海波介景忠
が退治したと内海家の古文書に伝えられています。
二の講(二九)という行事は大蛇の霊を慰め、山仕事の安全、五穀豊穣を祈
る祭りで、小山地域で700 年間受け
継がれています。
住民はもち藁で長さ13 m程、胴回 り30cm 程の大蛇を作り、音羽川沿 いの木に掛けて祭ります。 この行事は京都市無形民俗文化財 に登録されています。

西野山古墓発見物語
このお話は、実際にあったできごとです。山科区役所発行の写真集「モノクローム・ヤマ シナ」編集の際に仲間の西沢五郎さん(西野山在住)から伺った話が元になっています。西 野山の村田留吉さんと宗一さん親子が1919(大正8)年、タケノコの土入れ作業のなかで偶然 に木炭を見つけ、そこから太刀や鑑など15 点を発見しました。京都帝国大学の梅原末治教 授が調査し豪華な副葬品から、奈良時代の貴族の墓と推定されましたが墓の主はわかりませ んでした。
最初に坂上田村麻呂の墓と発表したのは山科区在住の郷土史家鳥居治夫さんです。鳥居さ んは条里の研究から坂上田村麻呂の墓ではないかと推定し、1978(昭和53)年に学術誌『近江』 に発表しましたが、一般にはあまり知られることはありませんでした。2007(平成19)年になっ て、京都大学の吉川真司准教授が『清水寺縁起』の研究から墓の主は坂上田村麻呂ではない かと発表しマスコミでも大きく報道され、多くの人々に知られるようになりました。

  なお、出土品は1953(昭和28)年に一括して国宝に指定されました。そのなかの2点、金 装太刀と金銀平脱双鳳文鏡の写真を紙芝居に使用しています。また、イメージしやすいよう に鏡を原寸大に拡大したものを付録資料として作りました。参考にしてください。

南山科 鷹狩物語
 「今は昔」で始まる『今昔物語』の中の「高藤の内大臣の語」に初めて出合ったとき、このお話 は山科の若い皆さんに語りついで行かねばと思い、この紙芝居を作りました。話の舞台は、山科の 南の方「勧修寺」の辺りだと言われています。山科に生まれたひとりの女性が、運命の人に出会い、
その孫にあたる人が醍醐天皇になるというお話です。
 このお話のように、山科は鷹狩や薬草取りなど、京の都にとって重要な地域であったことがわかります。

 山科には旧石器時代の遺跡や鉄を鋳造した「たたら遺跡」、中臣遺跡など古くから人々が生活していた ことがわかります。天智天皇陵はよく知られていますが、近年、調査が行われた安祥寺も注目されています。 また、室町時代に蓮如上人により造られた山科本願寺は、土塁の一部だけが残っていますが、発掘調 査の度に出土品が注目を集めてきました。
 江戸時代の名所絵図には、京の東の玄関口として賑わう追分の様子や車道、四ノ宮地蔵、眼の病 に効くと信仰を集めた妙見寺なども描かれています。 明治5年には山階小学校、勧修小学校が開校しますし、大宅地域には地元の青年のための夜間学校 も開設されました。明治23年に開通した疏水はよく知られていますが、「償水」と称して農業用水
路が建設されたことはほとんど知られていません。当時は茶畑と竹薮が多く、良質のたけのこを出 荷していました。それらが開墾され田畑に変わり、戦後は住宅地として発展してきましたから、現 在は、語りつぐことも少なくなり、忘れ去られています。
 この紙芝居のシリーズが山科への理解と愛情を深めて頂くきっかけになれと願っています。
参考文献:「今昔物語集」本朝世俗部、佐藤謙三校注 角川文庫934

四ノ宮物語
【解説】
 この四ノ宮物語は「伊勢物語」や「当道要集」、諸羽神社、十禅寺、徳
林庵の各縁起をはじめとする地元の伝承および雅楽や琵琶楽の伝承などを
参考に しながらフィクションを織り交ぜた創作の物語です。
 参考文献:本朝世俗部、佐藤謙三校注「今昔物語集」角川文庫934
【あらすじ】
 琵琶が得意だった第四皇子の目が見えなくなり山科に移り住みました。
落ち込む皇子の悪夢を目の見えないお坊さんたちが払いのけ、その後は一
緒に琵琶を弾いたり声明を歌ったり楽しい日々をすごしました。