粟田口刑場跡に説明板 京都・山科 処刑場の史実を後世に

 

粟田口刑場跡に小島さん(右)や久保さんらが設置した案内板=京都市山科区日ノ岡

 

 京都市山科区の旧京阪九条山駅跡近くに、江戸後期まであった公開処刑場「粟田口刑場跡」について示す説明板が設置された。3世代にわたり、刑死者を弔ってきた宇治市の男性が地元に設置を提案、地域の史実を後世に残そうとしている。

 

 看板は三条通沿いに立てられ、縦64センチ、横1メートル。粟田口が東海道から京都へ至る「最後の難所」で、牛車が通れるよう「車石」が舗装された地域史を紹介するとともに、刑場について説明している。

 

 粟田口刑場は、平安遷都から江戸後期に廃止されるまで、罪人約1万5千人が処刑されたと伝わる。江戸時代には「磔(はりつけ)、獄門、火刑」が行われ、「(山裾には)何基もの供養塔が建てられた」という。その後、廃仏毀釈や道路開発で供養塔は破壊され、景観も一変したと記している。

 

 説明板の設置を思いついた小島直人さん(69)=宇治市南陵町=は、祖父の愛之助さんが戦前、壊れた供養塔の一部を山中で発見し、塔を再建して以来、父とともに年2回法要を続けてきた。熱心な仏教徒だった愛之助さんの「例え罪人でも、死ねば身は等しく仏」との教えを受け継いだ。

 

 小島さんは、地域の歴史に詳しい地元の久保孝さん(67)とともに、約1年間かけて同刑場の歴史を調査。刑場のあった九条山峠町町内会と京都市と相談し、今月9日、市道に説明板を立てた。

 

 小島さんは「祖父と父の思いを受け、形に残せてうれしい。京都のまちの歴史として伝えて行きたい」と話している。

 


子ども琵琶で親しんで 京都・山科、市民グループ手作り

 

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手作りした子ども用の琵琶を使い、児童に弾き方を教える小谷さん(左)=京都市山科区
手作りした子ども用の琵琶を使い、児童に弾き方を教える小谷さん(左)=京都市山科区

 

 琵琶法師ゆかりの地とされる京都市山科区四ノ宮の市民グループ「弦楽ふるさとの会」が、手軽に演奏できる子ども用の小さな琵琶を手作りした。「格式の高いイメージがある琵琶の裾野を広げたい」と期待している。

 

 四ノ宮地域には、平安時代の皇族で琵琶の名手と伝わる人康(さねやす)親王にまつわる史跡が多く残る。地元住民らでつくる同会は、演奏会の開催や史跡を紹介する地図を作成し、琵琶に関わる文化の発信に力を注いできた。

 

 琵琶奏者としても活動する代表の小谷昌代さん(45)が、約3カ月かけて手作りした。子ども用琵琶は長さ64センチで、一般的な楽琵琶の約3分の2のサイズ。小谷さんが普段演奏する約180年前の楽琵琶の構造を元に、地元にある木工作業所の職人たちに設計図を作成してもらい、クリの古材などを手彫りして接合、弦を張って仕上げた。

 

 当初は子ども用のつもりだったが、持ち運びに便利なことから、大人からも「自宅での練習用に貸してほしい」と申し出があるという。小谷さんは「琵琶を弾く人が増え、工房や職人と連携して琵琶の製造などにもつながればうれしい」と話す。

 

 毎月第2土曜の午後2時から、同区の安朱自治会館で主宰する琵琶サークルでも演奏できる。次回は7月9日。問い合わせは小谷さん携帯電話090(2597)3050。

 


わら大蛇に1年の平穏祈る 

 

わらで作った大蛇を音羽川岸まで運ぶ住民たち(京都市山科区小山)

 

 わらで作った大蛇を祭る伝統行事「二ノ講」が9日、京都市山科区小山で行われた。住民たちが大蛇を担いで音羽川岸に掲げ、五穀豊穣(ほうじょう)や山仕事の安全を祈った。

 

 二ノ講は1313(正和2)年、地域を苦しめた大蛇を郷士が退治した際、村人がたたりを恐れて祭ったのが起源とされる。市無形民俗文化財に登録され、毎年2月9日に稲わら製の大蛇を新調している。

 

 午前9時、小山地域の住民30人がわらを編んで体長13メートル、胴回り60センチほどの大蛇を作り上げた。目玉に見立てた夏ミカンや、松やシキミで作った足12本を取り付けた。午後の神事では大蛇の口を赤く塗り、甘酒を注いだ。今年の当番の家族が祈とうした後、男性たちが約500メートル離れた音羽川岸まで大蛇を担いだ。2本の杉の間に大蛇を渡し、1年の平穏を祈った。

 

 参加した中山藤晤さん(78)は「若手が減る中で行事を続けるのは大変だが、伝統を絶やさずに受け継ぎたい」と話した。大蛇は来年2月まで祭られる。


案内板と「里帰り」した石の前であいさつをする調査・研究グループのメンバーたち

(京都市山科区・天神社)

秀吉の指月城の石垣戻る 400年ぶり里帰り・案内板

 

 中世から近世に石切場として栄えた京都市山科区大塚にある天神社で11日、同地域が原産地とみられ、豊臣秀吉が築いた指月城(伏見区)で使われた石垣石が戻ったことを記念する案内板の除幕式があった。

 

 天神社東にある「行者ケ森」の山一帯は、石切場だった。昨年6月に指月城の遺構から多くの石垣石が見つかり、山科の地域史を研究するグループが一部を「山科石」と指摘している。

 

 発掘関係者や近隣住民らの協力を得て、そのうち三つの石が400年以上ぶりにふるさとへ戻り、天神社の境内に置かれた。

 

 案内板は縦90センチ、横60センチ。「一に◯」の刻印がある石が発見されていることなど石切場や指月城について解説している。

 

 除幕式には約40人が参加した。案内板前で調査・研究グループの武内良一さん(75)が「昨年12月、専門家に見てもらい『山科の石で間違いない』とお墨付きを得た」などと説明。「多くの人に見学してもらい地域の歴史を知ってほしい」と話していた。


指月城の石垣石、産地に「里帰り」 京都・山科の住民ら整備

指月城の石垣から発掘され、産地である山科に戻った石(上段三つ)=京都市山科区大塚
指月城の石垣から発掘され、産地である山科に戻った石(上段三つ)=京都市山科区大塚

 豊臣秀吉が1592(天正20、文禄1)年から造営したとされる指月(しげつ)城(京都市伏見区桃山町)で発掘された石垣の石が、原産地とみられる山科区大塚の天神社に「里帰り」した。貴重な石を広く見てほしいと、地域の住民たちが整備に取り組んでいる。

 天神社東に位置する「行者ケ森」の山地一帯は、中世~近世に火山岩の一種、石英斑岩の石切場として栄えた。軟らかく割りやすい上、近くを流れる音羽川の水運によって、二条城や大坂城の石垣にも用いられたという。現在、京都市の遺跡地図にも登録されている。

 今回、天神社に「里帰り」した石垣の石は縦40センチ、横80センチ、高さ数十センチの石英斑岩三つ。今年6月に見つかった指月城の遺構から出土した。地域史を研究する武内良一さん(75)ら3人が、指月城の発掘に当たった民間の発掘調査会社に依頼し、現場で石垣石を見学した。

 武内さんたちは、持参した山科石と発掘された石の色や性質、含まれる鉱物の量を目視で比べ、歴史資料を確認した。その結果、発掘された石垣石68個のうち約3割が山科産とみられることが分かった。発掘調査会社と協議し、「地域の石が指月城築城に貢献した」として、そのうちの三つを譲り受けた。

 天神社を管理する近隣住民たちも境内への設置を快諾し、8月上旬に石を搬入。地域の造園業者が石の周囲を整備し、今後は案内板を設置して広く公開するという。

 市文化財保護課は「化学分析は行っていないが、山科産の石英斑岩と特徴が一致している」としており、天神社保存会総代の平井信夫さん(72)は「指月城の石垣として由緒ある石が戻ってきたのは意義深い。山科の石切場が全国に重宝されていたと知ってもらう機会になれば」と話している。






紙芝居:山科への関心、若い世代に 地元史話を題材 「語りつぐ会」が新作5作 /京都

毎日新聞 2015年05月27日 地方版

 小野小町に豊臣秀吉−−。京都市山科区で、地元に伝わる歴史上の人物などを題材に紙芝居を作り、若い世代にも地域への関心を高めてもらう活動が続いている。区の助成を受け、「やましなを語りつぐ会」が新作5点を製作し、22日に山科青少年活動センター(山科区)でお披露目会をした。昨年は元教員ら年配者らを中心に編集したが、今年は地元の百々(どど)児童館の子供や、府立洛東高(山科区)の生徒も製作に参加した。【礒野健一】


 10年前から小学生に絵本や紙芝居の読み聞かせをしている市立大宅中の生徒は、2作品を上演した。2年の中島梨音さん(13)は、背中にくわの跡が残る観音菩薩(かんのんぼさつ)像の伝説を題材とした「帰ってきた観音さん」を披露した。「難しい漢字の場所は、ゆっくりと読むよう工夫した」と中島さんは説明し、指導する辻本和樹教諭(54)は「題材の史跡は学校からも近く、改めて生徒たちと訪れたい」と話した。

 今年3月に洛東高を卒業し、今は京都精華大で漫画などを学ぶ上山夏帆さん(18)は、豊臣秀吉による伏見城築城の際、白石神社(小山大石山)のご神体石が持ち出されそうになった実話に基づく「ご神体を守った村人」を担当した。上山さんは「山科で育ったが、知らない話で新鮮だった。親しみやすいようアニメタッチの絵で表現したので、たくさんの子どもたちに見てほしい」と笑顔を見せた。

 これ以外の3作品は、小野小町と深草少将の恋模様を描いた「はねず踊りはアーリャコレコレ」▽琵琶湖疎水や蒸気機関車など、山科の近代化を紹介する「やましな近代 ものの始まりものがたり」▽京津街道の難所だった日岡(ひのおか)峠を改修した木食(もくじき)上人の偉業を伝える「日岡峠と木食上人」。

 紙芝居は約30部製本し、区内の図書館や小中学校に配る。語りつぐ会の中山藤晤(ふじあき)代表(77)は「今後も紙芝居作りを続け、子どもたちが郷土への興味と誇りを持つきっかけにしてほしい」と期待した。


わら大蛇に豊穣願う 京都・山科で「二ノ講」

わらで編んだ大蛇を音羽川岸まで運ぶ地域住民たち(京都市山科区小山)
わらで編んだ大蛇を音羽川岸まで運ぶ地域住民たち(京都市山科区小山)

 わらで編んだ大蛇に五穀豊穣(ほうじょう)を願う、京都市山科区小山の伝統行事「二ノ講」が9日、同地域で行われた。700年以上続くとされる伝統行事だが、近年は新しい住民も増えており、地元の歴史グループが紙芝居を作るなどして、後世に伝えようとしている。

 二ノ講は、1313年に村人を襲った大蛇を、地元の武士が退治した言い伝えに由来する。たたりを恐れた住民が、音羽川の堤にわらで作った蛇をまつったのが始まりとされ、毎年この日に付け替える。地元の保存会が毎年地域で2軒を行事の当番に選ぶ。

 この日午前8時半に、住民ら約20人が小山総合センターに集まり、わらを編んで長さ約13メートル、胴回り約0・3メートルの大蛇を制作し、音羽川岸まで運んだ。

 近年は行事を知らない地域住民が増えている。やましなを語りつぐ会の会員でもある、保存会の中山藤晤さん(77)が絵を描き、紙芝居「音羽山大蛇ものがたり」を30部作製。語りつぐ会が2014年に区内の小中学校や図書館に配布した。中山さんは児童館を訪れて紙芝居を上演したが、昔話として、子どもたちに好評だったという。

 中山さんは「長きにわたって地元に伝わる行事を次の世代にも伝えていきたい」と意気込み、今年の当番だった会社員西口尚さん(56)は「多くの人のおかげで無事に大蛇を納めることができた」と話している。

【2015年02月10日 10時00分】


京都・山科の手作り物語を紙芝居に

 

 京都市山科区の市民団体が、同区に伝わる歴史や文化を題材にした紙芝居を手作りし、地元の小中学校や福祉施設などに配る計画を進めている。大正期に古墓が見つかった西野山や、琵琶の名手・人康(さねやす)親王が隠居した四ノ宮を舞台に五つの物語を完成させた。企画した説田三保さん(72)=同区=は「世代間での読み聞かせに活用してほしい」と話す。

 「やましなを語りつぐ会」が取り組んでいる。他府県からの移住者が増えている同区で、年齢を問わず地域の歴史に目を向けてもらうのが狙いだ。

 紙芝居は、同会がこれまで「区民まつり」などで上映してきた作品をベースに各30部ずつ仕上げた。専用の木枠もつくり、5月以降に区内13小学校と6中学校、図書館などに配布する予定。

 物語の一つは1919年の西野山が舞台。タケノコの土入れ作業をする親子が偶然豪華な副葬品を発見し、後に坂上田村麻呂の墓があったと考えられる実話を元にした。出土した鏡を原寸大のステンレス板で再現した。

 また、親王と琵琶をテーマにした「四ノ宮物語」は、作者の小谷昌代さん=同区=が作ったオリジナル楽曲の譜面を、文章と一緒に盛り込んでいる。弾き語りで進む独創的な紙芝居で、小谷さんは「地元が誇る四ノ宮琵琶に気軽に触れてもらいたい。各学校の音楽室に琵琶を配るつもり」と意気込む。

 色鉛筆や水彩で描くイラストは、地域のお年寄りや山階南小の児童も協力した。同会メンバーの中村幸代さん(74)=同区=は「いろんな人が山科の面白さを知るきっかけになれば」と話している。

2014年4月9日 京都新聞


次世代へ伝えたい、山科の風土 「語りつぐ会」古民家巡り1年  
                                       
 京都市・山科の歴史や文化を記録に残す活動に取り組んでいる「やましなを語りつぐ会」が、結成から1周年を迎えた。「教科書に出てくるような歴史ではなく、庶民の暮らしを記録して、次の世代に伝えたい」と、区内に残る古民家を巡るフィールドワークなど、地道な活動を続けている。 この会は、山科の古い写真を集めた写真集「モノクロームヤマシナ」の制作にかかわった地域住民10人が、「地域の歴史を調べる活動をこれからも続けたい」と2006年10月に結成した。 生活の中から形作られてきた歴史に焦点を当てようと、今も地域に残る古民家を訪ねて住民の話を聞き、地域の歴史や暮らしの変化を調査するフィールドワークをこれまでに5回実施した。京野菜「山科なす」の原種を守り続けている山科の農家男性らを講師として招いて話を聞くなど、地域の歴史や風土の掘り起こしへ活動を進めている。 会員は特に募っていないが、活動に興味を持った人が徐々に集まり、現在は20人あまり。会長の土山年雄さん(81)=山科区西野=は「5年、10年したら消えていくであろう、地域の歴史を残していきたい」と話す。問い合わせは事務局TEL075(593)5543。      京都新聞の記事より